昔話 (小さい子どもを連れて出かける)
電車の距離の病院に行った?
私も含めて誰かが遠くの病院に行かなくてはならないようなことがあったっけ?
幼児だった上の子たち(ネーブルとポンカン)は、道やバスや駅や電車では私の手を握っていたはずだ。
私は、上の子たちが道やバスや駅や電車で誰かの迷惑にならないよう事故にあわぬよう
言い聞かせたり、小さいご褒美をちらつかせて、涙ぐましい努力をしたと思う。(忘れてしまったけれど)
出かける前に、「これこれこういう大事な用事でバスや電車に乗るので、大事な用事や具合が悪いかもしれない周りのお客さんの迷惑にならないよう、自分が持つ小さいかばんにおとなしく遊べる好きなものを詰めてください。バスや電車が混んでいたら、がんばって立っていましょう。」とか言ったと思う。そのかばんは私は持たない。持てる訳が無い。私は子ども用品(おむつ、おやつ、飲み物、タオルなどなどの(どう持っていたのか思い出せない)たくさんの荷物があったし)子どもたちの手を握らなければならないのだから。
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くっそ、酔った。
今、全世界に公開するけれど、あれこれ書き直すと思います。
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<20210301早朝酔って追記>
つくづく思い出すのは
ダンナも私も、外で子どもを自由に歩かせなかったことだ。
小さかった子どもが歩き始めの頃は、道や出先の駐車場では必ず手をつないだ。
「手をつながない」と駄々をこねたら即帰宅したような気がする。
車に乗る時もチャイルドシートは必須で、嫌がったらそこから進まない進めない。
何というか、「例外は無し」だった。「動物のしつけ」みたいな?動物を飼ったこと無いけど。あ、うちにねこが少しいた。その時も同じ感じだった。「食卓に載るな」とか。
「自分が製造した我が子の命を守らなければ」と、いつも気を張っていた。
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<2021.03.11>
私は、我が子たちに立派なことが出来なかった。
生活習慣とか、しつけみたいなこととか、教育とか。
自分が親にしてもらったことのうちの、ほんの少しのことしか出来なかった。
自分がちゃんとしていないのに、子どもたちに立派な何かを伝えることなんて出来なかった。
でも
今日まで「生かし続けること」だけは出来た。