あほたれ報告

地味なオバハンです。流行の最先端は自分で決めます。(ウソです。流行に疎いだけです。)生活に役立つことは・・・、あ~、無理です。

メモ(小さい子どもだったころの思い出)

私の父。

 

昔、ブラウン管オシロスコープでテレビを作って売ったらしい。
(知らない語句を検索して理解したいけれど、理解出来る気がしない。)


<私が小学3年ぐらいまでのこと>

 

母がよく言っていた「やおでんき」は
さいころの私の通学路から見えた煙突に書いてあった「ゼネラル」だ。今知った。

 

私が記憶にある父の仕事は「ソニー」。
ソニーでランドセルをもらった。背に小さく「SONY」の刻印があった気がする。
「お父さんの職場見学」みたいなことはしなかった。

 

あぁ、そう。
私がはじめて覚えたアルファベットは「セスオーエヌワイ(SONY)」。
父が刷り込んだ。

 

8ミリのコマ撮りで、リカちゃん人形が首を振ったりするのを撮った。
撮影用のライトを点けたような。
映写を見たら、目にも留まらぬ1瞬だった。残念だった。

 

<小学3年から中学1年の半ばまでのこと>

 

日曜日の、教育テレビのコンピュータの番組を熱心に見ていた。
Yes・Noで枝分かれしていくチャート表みたいなのを熱心に勉強していた。

 

同時期、私は教育テレビの「セサミストリート」をよく見ていた。
朝晩見ていたな。好きで見ていた訳では無い。
テキストが家にあった時期があったなぁ。
(あの番組、スペイン語か何かの10までの数字もやっていたな。ウノ・ドス・テレス???…。)

 

リモコンテレビの導入は早かった。
小学校高学年。

 

外側がクリーム色の無塗装プラスチック(ABS樹脂?)のテレビを見ていた時期がある。
電化製品の修理か何かで人が来たとき、母がテレビに布をかぶせていた。
試作品だったのか?

 

東急ハンズ藤沢店。
平らな店だった。
葉書サイズぐらいのぶ厚い日記帳を買ってもらった。

 

友だちと「夜光ペン」を買いに、バスに乗って辻堂に行った。
友だちは「夜光ペン」と言ったのに、暗いところで光らなかった。
(「蛍光ペン」の出始めだったのかな。)

 

(どこだかの駄菓子屋で買った夜光塗料。シンナーのにおい。直径5ミリ長さ40ミリの底が平らなガラスビン。フタはコルク。もちろん暗いところでぼんやり光った。)

 

父の目覚まし時計(旅行に持って行くようなヤツ。)の文字も、暗いところで光った。
私の目覚まし時計も。金属製で胴がオレンジ色で、ジリジリと金属音がするヤツ。
ゼンマイ時計だったか???


  _______



  _______

 

水上バス
国際見本市。
ラミネート(パウチ?)」のブースで、定期入れに入れていた水彩イラストを今で言う「ラミカ」にしてもらった。
築地かどこかの、ちょっと上等なお寿司屋さん。
そのあたりの吉野家の牛丼。

 

父と歩く通りにあった鰹節に青いカビが生えていて、激しくぎょっとした。
(小学2年生のある日、絵の具セットの絵の具に青いカビが生えていて、半泣きで先生に何か言ったのを思い出した。先生は「窓際に置いておきなさい。」とおっしゃったと思う。)
東京で鰹節を作っていたのだろうか?(カビづけ)

 

公共バスで行ったNHK技研でハイビジョンに仰天。

 

つくば科学博覧会。

 

秋葉原電気屋さんでベータマックスを買って、ふたりで電車で持って帰った。重かった。

 

高校入学で腕時計を買ってもらった。


父は高卒だったけれど、とてもよく出来る人だった。と思う。(外での父を知らない。)
学歴がある人に妬まれた。と思う。
一時期、顔面神経痛(???マヒ?)で顔がゆがんでいた。

 

私のダンナの仕事の本社がこの近くなのは、赤い糸か?