あほたれ報告

地味なオバハンです。流行の最先端は自分で決めます。(ウソです。流行に疎いだけです。)生活に役立つことは・・・、あ~、無理です。

吉本キューブ

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(記憶違いがあるとは思うが。)


高校1年の時のこと。

「舞台装置にこれを作ろう。」と演劇部の顧問の先生が持ってきたのは
赤と白で、何とも不思議な立体物だった。

数学の先生が作ったという「それ」は、ひとつのパーツ(立方体)が12センチぐらいで
立方体が8つなのにとんでもない形になるものだった。


なにこれなにこれなにこれ。

ハイハイハイ!私作ります!!とか言ったのかどうか。
私はそれを借りて帰って、見よう見まねで同じものを作った。
(その頃は立方体の対角線?の長さを出す計算が出来た。今は出来ない。)


舞台装置を作る責任者みたいな役になって
大きな(パーツ一辺が90センチぐらいあったのではないか?)「それ」を
ダンボールで作った。

ダンボールを作る工場でダンボールを分けてもらい
(トラックで運んだよな。作る途中で足りなくなって、それは数人がかりで頭の上に乗せて運んだような・・・。)
材料をカッターナイフで切って
ネオカラーで色を塗り
布ガムテープで留めて。(稼動部分はそれなりの余裕を持たせて。)
部員総出の作業だったと思う。



創作劇の場面ごとに「それ」の形が変わり
その形は登場人物の心を表しているという、すごい劇だった。ハズ。
暗転のたびにスタッフが大きな「それ」の形を変えたのだ。
段取りを間違えると短時間で次の形にならないので、そういうことも考えたと思う。


文化祭で上演し
市だか区だかの大会の会場が法政二高で
どうやって運んだんだか、運べる大きさにバラした「それ」を
二高のロビーで組み立てたり、剥げた色を塗ったりした。
(当日の舞台の記憶はまったく無い。大会に勝ち進むことが無かったのは確か。)



ちょうど30年前のこと。
私は苦労して作った「それ」の写真を持っていない。


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「それ」が「吉本キューブ」というものだと知ったのは数年前のことだ。
ずっと作りたいと思っていた「それ」を作れてうれしい。

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今、自分の子供が、当時の私の年齢。

私はいつだってしっかりしているつもりだけど
親から見たら、頼りないわがままな子供だったろうな。

何とも感慨深い。